55歳の誕生日を迎えた、少しあと。
社内で、中国への出張は当面許可されない方針が示された。
その後は、諸々の状況が急に悪化していき。
やがて緊急事態宣言が発出されて、家からも出なくなった。
2020年の春のこと。
定年前の5年は、こんな感じで始まっていた。
この期間に、養老施設に入所していた義母が亡くなるという悲しいことがあった。
面会が自由に行えず、妻は最後を看取れずに寂しい思いをしていたようだ。
行動が強く制約を受けた時期だった。
この期間、会社はいくつかの事業を分社化。
競合とはむしろ歩み寄り、合弁会社を立ちげたりしていた。
テレワークで、そのための書類確認、法的対応などのサポートをしていた。
同時に進められていたのが、社内の体制変更。
部署の人的配置が大きく変わり、定年間近の自分の位置付けも、定年間近の人間にふさわしいものに変わった。
この5年間を振り返って、よかったと思うことがある。
家族が全員、家にいることが多かったため、みんなで話をする時間がたくさんあったということ。
特に、妻といろいろと話をするようになったのが、よかった。
リタイヤしたら、妻とは一緒に過ごす時間が増える。
そのリハーサルができたのだ。
第二のお勤めの準備もできた。
思い悩んだとき、妻に愚痴を聞いてもらえる。
そんな関係も構築できた。
もちろん、言い過ぎには注意しないといけないが。
よいことも、わるいことも、どちらかだけということはないのだ。
そんなことを、改めて思う。


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