「自分」という、不可思議なもの


動き回る人たちを、静かに見つめている。

それで、動きたくなれば動けばいいし、そのまま見ていたければ見ていてもいい。

それができる唯一の場所が、「自分」というところだ。


*****


ふと、思う。


「自分」が「自分」の中にいること。

それを、誰もやめさせることはできない。

ゆったりと構えて、「自分」でいることを、楽しめばいい。


どこか、とても遠いところに行ったとしても、「自分」はいつもすぐそばにいる。

それをどこかに置いてくることはできない。

それでいて、なぜか他人のように見えることもある。


手足や、指が、思い通りにならないことがある。

頭の中の「想い」さえ、ままならないこともある。

それほどに、「自分」は、何か別物であることもあるのに。


どうしても「自分」であることを、やめられない。

中断することさえできない。

それは、「思い込み」でしかないことだって、あり得るのに。


*****


何も考えないように努力していても。

「何も考えないようにしよう」としている自分を感じる。

それを止めることはできない。


「自分」とは、ものすごく強力な「囚われ」のような気がしてくる。


   

- 暖淡堂書房の書籍から -

猫は一度目の一度切りを生きている
著者:暖淡堂

過ぎゆく時間を、一日、二日、三日、…、と数えることで、今日がただの一日になり、同じような日々が続くように思ってしまう。そうではなく、今、生きている時間は、一度目の一度きりのものなのだと考えることで、大切なものが取り戻せます。それを見つけるための、短いレッスンを、猫と共に。

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